長嶋茂雄の歴史に残るエピソード

「ミスタープロ野球」や「燃える男」の愛称で親しまれたスーパースター・長嶋茂雄(ながしま しげお、1936~2025年)の歴史に残るエピソードについて確認してみる。

1962年
長嶋茂雄(1962年)

戦後の日本を照らし続けた長嶋の過去の出来事やエピソードについて、主に時系列に沿って振り返ってみる。

  • 1936年(昭和11年)2月20日、千葉県印旛郡臼井町(現:佐倉市臼井)に生まれる。血液型はB型。身長178cm・体重76kg。
  • 1958年(昭和33年)、巨人に入団。ルーキーイヤーのこの年、本塁打29・打点92を記録し、本塁打王と打点王の二冠を獲得。また、打率.305でリーグ2位、安打153で両リーグ最多、盗塁37でリーグ2位。その年の新人王に選ばれる。
  • 1959年(昭和34年)6月25日、後楽園球場で行われた天覧試合(対阪神戦)で村山実(むらやま みのる、1936~1998年)からサヨナラ本塁打を放つ。長嶋の勝負強さが日本中に知れ渡った。
  • 長嶋は空振りをしてもヘルメットを豪快に飛ばしてファンを楽しませた。ヘルメットは敢えて大きめのものを用意していた。
  • 敬遠はファンへの裏切り行為と考え、敬遠されると分かっていた時にはバットを持たずに打席に立ったこともある。素手だけで構えて敬遠に抗議し、四球となった。
  • 三塁手の守備では指先まで意識した美しいスローイングが特徴的だった。スローイングの後に右手をヒラヒラさせる独特の動作は、歌舞伎の所作を真似たものである。
  • 三塁手であるにもかかわらず遊撃手が取るべきショートゴロを横取りして取っていた。これを長嶋は「三塁手の最大の見せ場」と語っている。
  • 同時代に活躍した王貞治(おう さだはる、1940年~)とはともに「ON砲」として称され、2人のバッティングは巨人のV9に貢献した。最多安打をNPB最多記録となる10回獲得し、首位打者をセ・リーグ最多記録となる6回獲得した。
  • 1974年(昭和49年)10月14日、現役最後の試合(後楽園球場・対中日戦)の後、引退セレモニーが実施され、長嶋はスピーチにて「我が巨人軍は永久に不滅です」と挨拶した。
  • 1992年(平成4年)11月21日のプロ野球ドラフト会議において、巨人の監督だった長嶋は星稜高等学校の松井秀喜(まつい ひでき、1974年~)を引き当てた。松井は巨人の4番を任されるまでに成長し、後にメジャーリーグでも活躍した。
  • 2013年(平成25年)4月16日、長嶋と松井は国民栄誉賞を同時受賞した。同年5月5日に東京ドームで行われた巨人対広島戦の試合前に、松井の引退セレモニーと合わせて授与式が行われた。
  • 2021年(令和3年)、プロ野球界では初となる文化勲章を受章した。「野球に打ち込んできたことが評価されたことは光栄です。今後も野球界のために一生懸命、尽くします」とコメントを残した。
  • 2025年(令和7年)6月3日、東京都内の病院で肺炎により死去。89歳。

2021年
長嶋茂雄(2021年)

長嶋茂雄に関連する記念日として、4月5日は「デビューの日」、6月14日は「球音を楽しむ日」、6月25日は「天覧試合の日」、9月5日は「国民栄誉賞の日」、12月26日は「プロ野球誕生の日」となっている。

リンクWikipedia

2025/6/5

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カテゴリー「スポーツ

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