東京都渋谷区千駄ヶ谷に事務局を置き、医学に関する調査研究、医療の普及、女性医師の連携などの活動を行っている公益社団法人・日本女医会が制定。
日付は、日本で初めて女性として医師国家試験に合格した荻野吟子(おぎの ぎんこ)医師の誕生日の西暦1851年4月4日(旧暦・嘉永4年3月3日)から。
記念日を通じて女性医師のこれまでの功績を讃え、さらなる活動を奨励するとともに、医療界における男女平等を推進していくきっかけとするのが目的。記念日は2024年(令和6年)に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。
厚生労働省が実施している「医師・歯科医師・薬剤師調査」によると、2005年(平成17年)末における日本の医師の数は270,371人。病院と診療所で働いている医師は256,668人で、そのうち女性医師は42,040人。つまり全体の16.4%にあたる。
荻野吟子は1885年(明治18年)に医籍登録。当時女性は医術開業試験を受けられず、自ら奔走し政府に働きかけ、後続の道を拓いた。
日本女医会(Japan Medical Women's Association:JMWA)は1902年(明治35年)に、公許女医第12号の前田園子(まえだ そのこ)の尽力により、当時全国で医術開業試験に合格した約100人の女医たちが、女医の育成、地位確保と研鑽を目的として創設された。
同会は若い研究者のための学術研究助成、表彰(吉岡弥生賞・荻野吟子賞)、健康に関する啓発事業、若い女性医師や次の世代を担う医学生のキャリア継続支援、災害時救援活動などの公益目的事業を通して社会に貢献している。
同会の会員数は2012年(平成24年)3月時点で1,597人となっている。同会の会員になると同時に国際女医会の会員として認められる。2022年(令和4年)4月に同会は創立120周年を迎えた。
前田園子は1891年(明治24年)に医籍登録。1913年(大正2年)に日本女医会雑誌を創刊。各婦人団体と連帯し、人権活動に尽力した。
吉岡弥生(よしおか やよい)は1893年(明治26年)に医籍登録。1900年(明治33年)、現在に至るまで唯一の女性医師養成機関・東京女医学校(現:東京女子医科大学)を設立。1920年(大正9年)に日本女医会初代会長に就任。女医の活動を先導し、女性の地位向上に貢献した。