昭和時代の俳人・岸風三楼(きし ふうさんろう)の1982年(昭和57年)の忌日。
1910年(明治43年)7月9日、岡山県馬屋下村松尾(現:岡山市北区松尾)に生まれる。本名は二三男。大阪の関西大学法学部を卒業。1929年(昭和4年)、大阪逓信省に入省。
俳句は中学4年の時より始め『山陽新報』(現:山陽新聞)に投句。1929年より俳句雑誌「ホトトギス」に投句。皆吉爽雨(みなよし そうう)、山口誓子(やまぐち せいし)の指導を受ける。
1933年(昭和8年)、逓信省の職場句会を通じて「若葉(わかば)」を知り入会、富安風生(とみやす ふうせい)に師事する。1934年(昭和9年)、「京大俳句」に入会。言論弾圧「京大俳句事件」にて追及を受ける。
「若葉」の編集に携わり、1944年(昭和19年)に編集長となる。1953年(昭和28年)、俳句雑誌「春嶺(しゅんれい)」を創刊・主宰する。1971年(昭和46年)、「俳人協会」の設立に際し、設立代表として文部省と折衝。また、「俳句文学館」の建設にも尽力する。
1982年(昭和57年)7月2日、71歳で死去。句集に『往来』(1949年)、『往来以後』(1982年)、代表句に「手をあげて足をはこべば阿波踊」がある。風生の「中道俳句」の道に沿いつつ、「俳句は履歴書」を信条に庶民的な句を詠んだ。