西鶴忌(8月10日 記念日)

江戸時代前期の浮世草子・浄瑠璃作者、俳人である井原西鶴(いはら さいかく)の1693年(元禄6年)の忌日(旧暦)。

井原西鶴の像

井原西鶴について

1642年(寛永19年)頃、和歌山・中津村(現:和歌山県)に生まれる。本名は平山藤五(ひらやま とうご)との説がある。別号に鶴永・西鵬・松寿軒・二万翁。

1656年(明暦2年)の15歳から俳諧を志し、後に俳人・西山宗因(にしやま そういん)に学ぶ。宗因が唱えた談林派に加わり、前衛的な詩風で活躍する。また、一昼夜の間に発句をつくる数を競う矢数(やかず)俳諧の創始を誇り、これを得意とする。

1682年(天和2年)、浮世草子『好色一代男(こうしょくいちだいおとこ)』を発表、作家としても地位を得る。俳諧的な文をとり入れた雅俗折衷(がぞくせっちゅう)の文体で、性欲・物欲・義理・人情などを主題に好色物・武家物・町人物などに多くの傑作を残す。

なお、従来の仮名草子(かなぞうし)とは一線を画する物として、現在では『好色一代男』以後の作品を浮世草子(うきよぞうし)と区別している。浮世草子は元禄期(1688~1704年)に大坂を中心に流行する。

1693年(元禄6年)、52歳で死去。浮世草子の代表作として、好色物『好色五人女(こうしょくごにんおんな)』『好色一代女(こうしょくいちだいおんな)』(1686年)、町人物『日本永代蔵(にっぽんえいたいぐら)』(1688年)、『世間胸算用(せけんむねさんよう)』(1692年)などがある。

リンクWikipediaコトバンク

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カテゴリー「8月の記念日」「今日は何の日

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