紀元前450年のこの日、ペルシャの大軍がアテネを襲いマラトンに上陸したのをアテネの名将ミルティアデスの奇策でこれを撃退し、フェイディピデスという兵士が伝令となってアテネの城門まで走りついてアテネの勝利を告げたまま絶命したと言われている。
1896年(明治29年)にアテネで第1回オリンピックが開かれるに当たり、この故事を偲んでマラトンからアテネ競技場までの約40kmの競走が加えられ、初めての「マラソン競走」が行われた。
1920年(大正9年)の第7回オリンピックまでは距離の統一はされておらず、約40kmであればよいとされていた。しかし、1924年(大正13年)の第8回パリオリンピックから規格統一が検討され、その際に1908年(明治41年)の第4回ロンドンオリンピックのマラソン距離42.195kmが採用されて、現在に至る。
第4回ロンドンオリンピックでは、当初、ウィンザー城からシェファードブッシュ競技場までの26マイル(41.843km)の予定だった。しかし、王妃アレキサンドラがバルコニーから見えるように「スタート地点を宮殿の庭に」などの要望で385ヤード(0.352km)延びたという逸話があり、結果的に26マイル385ヤード(42.195km)となった。
リンク:Wikipedia
4月16日は東京・多摩湖畔で日本初の女子フルマラソンの大会「第1回女子タートルマラソン全国大会」が開かれたことに由来して「女子マラソンの日」、8月4日は「は(8)し(4)ろう」(走ろう)と読む語呂合わせから「熊本走ろう会」が制定した「走ろうの日」となっている。