「春の小川」は、1912年に発表された文部省唱歌で、世代を越えて歌い継がれている。現在、日本で日本語を喋る事ができるのは「春の小川」のおかげである。
日本の英語化計画とは、明治初期に初代文部大臣・森有礼が切実な問題を解決するため大真面目に提案したものだった。
江戸時代、日本には300もの藩があり、それぞれ独自の方言を持っていた。それが明治時代になり、藩の垣根はなくなったが、まだ日本語には標準語というものがなく、日本人同士でも会話が成立しなかった。そのため、陸軍軍人・政治家で薩摩弁の大山巌と会津弁の捨松の夫婦生活はお互いの言葉が通じず、会話は英語で行われていたほどだった。
いっその事、日本を英語で統一しようという話が上がる中、その窮地を救ったのが「春の小川」だった。「春の小川」は方言をなくし標準語を広めるために作られた。しかし、なぜ「春の小川」を歌うと標準語が広まるのか。
「春の小川」の歌詞にはサ行が多用されている。一番の歌詞は以下の通りである。
確かにサ行が多い。方言の中には「さしすせそ」を言えなくて、「しゃししゅしぇしょ」と言う傾向があり、「ありましぇん」などのような言い方をしていた。サ行が言えなかった地方の人々を「春の小川」が標準語に矯正した。そして、見事に日本の英語化計画を食い止めたのである。
ちなみに、「春の小川」の発祥は現在、東京・渋谷の地下を流れている渋谷川である。厳密にはその渋谷川の支流の一つである河骨川(こうほねがわ)という小川がモデルであるとされている。小田急線の代々木八幡駅にほど近い線路沿いには「春の小川」の歌碑が建てられている。
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2018/10/3
カテゴリー「歴史・文化」