東京駅には総理大臣の暗殺現場が2つある

かつて日本では総理大臣が一般市民の前で暗殺・襲撃された事がある。その舞台となったのが東京駅で、今でも暗殺の現場と分かる場所が2ヵ所ある。

通勤や観光など東京駅を利用する時、誰でも見られる場所にその痕跡が残されている。1つ目は現在の東京駅の丸の内南口で、1921年(大正10年)11月4日に当時の首相だった原敬(はら たかし、1856~1921年)が当時の山手線大塚駅の駅員であった中岡良一により刺殺された。

原敬
原敬

原首相は短刀で右胸を刺され、その傷は右肺から心臓に達しており、ほぼ即死状態だったという。現在、東京駅のその場所には原首相遭難現場のプレートと床面には円の内部に六角形という形をした印が埋め込まれている。

遭難現場
原敬遭難現場
床面の印
原敬遭難の印

もう1つの場所は、東京駅丸の内中央口から入った所にある中央通路の階段手前であり、こちらも床面に印が埋め込まれている。1930年(昭和5年)11月14日、その風貌から「ライオン宰相」と呼ばれた濱口雄幸(はまぐち おさち、1870~1931年)が銃撃された。

床面に埋め込まれた印の真上が現在の10番線乗り場・東海道本線のホームで、当時は特急つばめで濱口首相は神戸に行く予定だったが、そこをホームで愛国社社員の佐郷屋留雄に至近距離から撃たれた。

濱口雄幸
濱口雄幸
床面の印
濱口雄幸銃撃の印

銃撃された首相は周囲に大丈夫だと声を掛けるなど、気丈で意識ははっきりとしていたが、弾丸は骨盤を砕いていた。その後、東京帝国大学医学部附属病院に搬送され、腸の30%を摘出する大きな手術を受けて一命を取り留めた。しかし、その翌年にこの怪我がもとで死去した。このように東京駅には戦前の激動の中で起きた2つの暗殺現場が残されている。

リンク東京別視点ガイド原敬濱口雄幸(Wikipedia)

2018/10/12

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カテゴリー「乗り物

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