野口英世が改名した理由

野口英世(のぐち ひでよ、1876~1928年)は、細菌学者として黄熱病や梅毒の研究に命をかけ、3度もノーベル賞の候補に挙がった偉人中の偉人である。

野口英世

野口は現在の福島県耶麻郡猪苗代町に生まれる。千円札にも「野口英世」の名前が刻まれているが、本名は「清作(せいさく)」という名前であった。21歳の時に奇妙な事件に巻き込まれ「英世」と改名した。それは一冊の本との出会いがきっかけだった。

それが坪内逍遥の流行小説『当世書生気質(とうせいしょせいかたぎ)』で、知人にすすめられてこの本を読んだところ、そこには野口自身のことが書いてあるようだった。その内容は田舎から出てきた秀才の医学生が女と酒にはまり、自堕落な生活を送るというもの。しかも、その男の名前が「野々口精作(ののぐち せいさく)」であり「野口清作」とよく似ていた。

さらに、小説の精作は最後に自暴自棄になって自殺するという悲惨な内容だった。彼の伝記では伏せられることが多いが、野口は借金を繰り返して遊郭などに出入りする悪癖があり、酒好き女好きな浪費家であった。本のモデルが自分の末路のようで気味が悪くなった野口は、この小説の人物と無関係であることを示すために改名を決意した。

しかし、改名はそう簡単に認められるものではない。その時、野口は驚くべき行動に出る。当時、改名が許される条件の1つが、同じ村に同じ名前の者がいることだった。そこで、野口はたまたま同じ村にいた「清作」という赤ん坊を見つけ出し、強引に野口家の養子に入ってもらった。

こうして同じ村に2人の「野口清作」を誕生させ、「同じ村に野口清作という名前の人間が2人居るのは紛らわしい」と役所に訴え、強引にも戸籍名を改名することに成功し、晴れて「野口英世」となった。

ここで気になるのが小説の野々口精作のモデルが誰だったのかということである。この本は1885年(明治18年)に出版されたもので、野口は1876年(明治9年)生まれなので、この小説が出版された当時、野口は8~9歳でまだ無名の子供であった。つまり、野々口精作は偶然名前が似てしまっただけだった。作品を書いた坪内本人も「彼とは全く関係ない」と語っている。

リンク:Wikipedia野口英世記念館

2019/2/12

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カテゴリー「歴史・文化

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