江戸時代に火事が多く発生した理由

江戸時代の日本では火事が頻繁に発生しており、「火事と喧嘩は江戸の花」という言葉が残っているほどである。

江戸時代に発生した大火のうち、1657年(明暦3年)「明暦の大火」、1772年(明和9年)「明和の大火」、1806年(文化3年)「文化の大火」を総称して「江戸三大大火」と呼ばれる。しかし、実際にはもっと多くの大火が発生しており、三大大火に匹敵する火事が江戸時代の間に90~100回くらいあったと考えられている。

明暦の大火
明暦の大火

江戸時代に火事が多かった1つ目の理由は、人口が多かったことが挙げられる。江戸には約100万人の人がいたとされ、これは世界的に見ても多く、当時のロンドンは約70万人、パリは約50万人、ウィーンは約25万人で、江戸は世界最大の都市であった。

これは徳川幕府が政権保持のため、軍事力とともに人々を過剰に江戸に集中させたためである。この過剰な人口の集中は、江戸の識字率が高く後に先進国になりやすかったという良い面もあったが、木で作られた町が集中した江戸では火事という悲惨な出来事の原因となった。

火事が多かった2つ目の理由は、独身男性のタバコである。江戸の町は武士の荷物運びや大工など男の仕事が多く、特に独身男性が多かった。長屋で暮らす宵越しの金を持たない独身男性は、暇になるとやるのが酒とタバコだった。酒に酔っているうえに注意してくれる奥さんがいないため、寝タバコなど火の不始末が多く、火事の原因の1つとなっていた。

3つ目の理由は、江戸の町の構造で、長屋が隙間なく密集していたことである。火事が起きた時に犠牲者を減らすために建物の間に隙間を空ける必要があった。しかし、現在でいう「建ぺい率」のような制限はなかった。これには江戸の身分制が関係していた。

江戸には町人が人口の約5割もいたが、住んでいる面積は約2割だった。つまり、武士は隙間のある広い土地に住んでいたが、町人は隙間のない狭い土地に密集して住んでいた。

当時、住む家の面積が身分を象徴すると考えられていて、武士はこの考えを変えようとはしなかった。火事が起きる度に道幅を広げたり、火除け用の空き地は作られるが、町人が住んでいる密集状態そのものは解消されることなく、火事の原因となり続けた。

その他、火事の原因には、調理や照明用に火を使用することによって発生する失火、様々な動機による放火、江戸の独特な気象条件などが挙げられる。

リンク:Wikipedia

2019/4/1

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カテゴリー「歴史・文化

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