皮肉な結末を迎えた偉人の物語

歴史を動かした偉人の中には皮肉な結末を迎えた人もいる。そんな世界の偉人たちの悲しい物語である。

大隈重信

2019年(平成31年)4月1日に新元号「令和」が発表された。その後、間もなくして新紙幣の発表がされ、2024年度に刷新されることが決まった。新紙幣のデザインには、1万円は渋沢栄一、5000千円は津田梅子、1000円札は北里柴三郎が採用される予定である。

大隈重信

その陰で皮肉な結果を迎えた偉人がいる。それが大隈重信(1838~1922年)である。早稲田大学の創設者であり、内閣総理大臣も務めた大隈は、1871年(明治4年)の新貨条例の制定で、江戸時代の通貨単位「両」から「円」への切り替えにも携わった。

しかし、円の切り替えにも携わった大隈は、皮肉なことにお札の顔に選ばれていない。早稲田大学のライバルとも言える慶應義塾大学の創設者・福澤諭吉は1984年(昭和59年)から長年、1万円札の顔を務めている。また、大隈の大蔵省での後輩である渋沢栄一が新札の顔に選ばれるという皮肉となった。

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グラハム・ベル

グラハム・ベル

グラハム・ベル(1847~1922年)はイギリスの偉人で、現代に必要不可欠な「電話」を19世紀に世界で初めて発明した。電話は遠くにいる人と会話ができる画期的な発明品だが、電話を発明したベル本人は電話が嫌いだった。ベルは突然鳴る電話により仕事を中断されるのが嫌いで、亡くなるまで書斎に電話を置かなかったという。

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ジム・フィックス

ジム・フィックス(1932~1984年)は、今では世界に愛される「ジョギング」のブームを作ったアメリカの偉人である。フィックスはジョギングの提唱者で、1970年代にアメリカで問題視されていた肥満にジョギングが効果的だと主張し、フィックスが出版した本は全米でベストセラーとなった。

そんなフィックスは、1984年(昭和59年)の52歳の時、いつものようにジョギングをしている最中に命を落とした。死因は心筋梗塞で、フィックスの死は全米で報じられ、ジョギングは体調により心臓に負担をかけ危険な場合もあると分析された。

フィックスの死は各界に衝撃を与え、ジョギングブームは一気に衰退した。その後、心臓への負担が少なく、より安全で高齢者でも実践できる「ウォーキング」が代わりにブームとなった。

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江藤新平

江藤新平(1834~1874年)は、新たな警察制度や裁判所、検察の創設などに尽力した「法の番人」である。1872年(明治5年)、江藤は現在の法務大臣にあたる初代・司法卿に38歳の若さで就任した。司法制度の近代化を推進した江藤は、1874年(明治7年)の40歳の時、政府に不満を募らせる士族の反乱を止めるため佐賀へ赴いた。

江藤新平

江藤は自ら不平士族に接触し、彼らの暴発を事前に抑えるべく諭していた。そんな江藤は明治政府に不満を持っており、佐賀の不平士族と接触後、彼らの意見に押し切られ、一派の首謀者に担ぎ出されてしまった。

その後、江藤は「佐賀の乱」で政府相手に戦争まで始めた。戦争には負け、佐賀から鹿児島、高知へと逃亡した。しかし、ひと月に及ぶ逃亡の末、皮肉にも法の番人・江藤新平は逮捕されてしまう。さらに皮肉なことに、この時、江藤は自分で作った「指名手配写真」の制度で捕まり、その被適用者第1号となった。逮捕後、江藤は処刑され、40歳の若さでその人生を終えた。

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2019/5/14

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カテゴリー「歴史・文化

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