学校の授業などでプールに入る時には「水泳帽」をかぶる。学校のプールで水泳帽をかぶるようになった理由にはいくつかある。
「水泳キャップ」とも呼ばれる水泳帽を、日本中に普及させたのは東京都墨田区緑に本社を置くフットマーク株式会社であるという説がある。同社は現在は多くの水泳用品を製造・販売しているが、もともと「おむつカバー」を作っていた。
1940~70年代の日本では現在のような紙おむつではなく、布製のおむつを使い、その上から漏れを防ぐためにビニール製のおむつカバーをするのが一般的だった。しかし、おむつカバーは夏は蒸れるという特徴から、同社の夏の売り上げは激減した。これがきっかけで学校で使う水泳帽が作られた。
1960年頃、水泳帽は競泳の選手がかぶっていたもので、子ども達には無縁のものだった。一方で当時、夏の娯楽といえば海水浴で、多くの女の子が髪が乱れるのが嫌でかぶっていたのが「海水帽」と呼ばれる帽子だった。海水帽は防水性が高いビニールやナイロン素材で、ストライプや水玉などの柄物が主流だった。
フットマークはおむつカバーで使う素材を利用して、夏の副業としてこの海水帽を作っていた。ある時、意外にも赤や黄色の無地の海水帽が売れていることに気が付いた。それは学校のプールで女の子がかぶっていたもので、水の中でも目立つ色は指導者の見落としを防ぐことができ、より安全なものだった。
これをきっかけとして、同社は水泳の授業のための帽子の製作に取りかかり、形や素材などを変え、色鮮やかで機能的な「水泳帽」を開発した。そして、ナイロンタフタ製の小学生用の水泳帽が1969年(昭和44年)に発売された。しかし、その頃はまだ全国にプールが少なく、最初はなかなか売れなかった。
発売してから数年後、水泳帽に追い風が吹き始める。1964年(昭和39年)に開催された東京オリンピックの水泳競技の結果が振るわなかったことや、子どもの水難事故が多発したこともあり、学校でもっと水泳を教えたほうがよいという風潮になり、全国の学校でプールが造られるようになった。
すると同社の水泳帽の売り上げが急上昇し、おむつカバーに替わる会社の主力商品になった。1970年代には全国の学校でほとんどの生徒がこの水泳帽をかぶることになった。現在でも同社は国内の水泳帽のシェアで約5割を持つトップメーカーである。
このように学校のプールで水泳帽をかぶるようになった理由には、おむつカバーの夏場の売り上げ減少や、学校における水泳授業の導入、目立つ色でより安全であることなどが挙げられる。また、学校の授業では泳力や学年によって色分けするという使い方がされる場合もある。
2019/8/26
カテゴリー「スポーツ」