2020年(令和2年)に「東京オリンピック・パラリンピック」が開催され、パラリンピックは8月25日から9月6日まで開催される予定である。
パラリンピック(Paralympic Games)は、肢体不自由や脳性麻痺、視覚障害、知的障害など身体機能の一部に障害を持つ身体障害者を対象としたスポーツの総合競技大会である。そんなパラリンピックの「パラ」とはどういう意味なのか。
この「パラ」とはもともと「下半身麻痺」を意味する「パラプレジア」に由来する言葉である。そして、「パラプレジア」(Paraplegia)と「オリンピック」(Olympic)を掛け合わせて「パラリンピック」(Paralympic)という言葉が生まれた。
しかし、パラリンピックには下半身麻痺以外の人も多く出場している。これはパラリンピックはもともと下半身麻痺で車いすに乗る人だけが参加する大会とされていたためである。その起源は1948年(昭和23年)のロンドンオリンピックの時で、イギリスのロンドン郊外にあるストーク・マンデビル病院で行われたアーチェリーの競技会だと言われている。
この時、第二次世界大戦で負傷した軍人たちがリハビリの成果を競い合うために、アーチェリーの競技を行った。車いす使用者によるこの競技会はその病院の名前から「ストーク・マンデビル大会」と呼ばれた。大会は1948年以降この病院で毎年開催され、次第に世界各国から車いすの選手が集まり、国際競技大会へと発展していった。
そして、1960年(昭和35年)からオリンピック開催都市でストーク・マンデビル大会を実施することが決定され、同年にはオリンピックと同じようにローマで大会が開催された。この大会は下半身麻痺を意味する「パラプレジア」と「オリンピック」を掛け合わせた「パラプレジックオリンピック」(Paraplegic Olympic)という名前で呼ばれた。
公式に「パラリンピック」の名前が使用されたのは、1964年(昭和39年)の東京オリンピックが開催された時からであった。この時、パラリンピックの大会の開催に尽力したのは、「日本パラリンピックの父」と呼ばれる大分県で医師をしていた中村裕(なかむら ゆたか、1927~1984年)である。
当時、中村は最新のリハビリ技術を学ぶためにストーク・マンデビル病院に留学し、スポーツによるリハビリに感銘を受けた。そして、1964年の東京大会を日本における障害者スポーツ発展のための第一歩とした。大会実行委員会はこの大会の名前を「パラリンピック」とし、公式の大会名となった。この東京パラリンピックには22ヵ国・375人の選手が参加し、9競技144種目が実施された。
その後、「パラリンピック」の名前は国際オリンピック委員会に認められ、正式名称となった。パラリンピックの「パラ」は、下半身麻痺の「パラプレジア」という意味から、オリンピックと並行して行われるという意味の「パラレル」(Parallel)へと解釈が変更され、現在に至る。
また、パラレルの語源はギリシャ語の「パラ」(Para)であり、パラリンピックには「もう一つのオリンピック」という意味が込められている。東京パラリンピックの公式サイトには「Para(沿う、並行)+Olympic(オリンピック)という意味」と記載されている。2020年の東京パラリンピックでは22競技537種目が実施される予定である。
リンク:東京オリンピック・パラリンピック、Wikipedia
2019/9/30
カテゴリー「スポーツ」