「雲泥の差」の語源・由来

「雲泥の差」(うんでいのさ)とは、雲と泥ほどの差ということから、非常に大きな違い、天と地ほどの隔たり、月とすっぽん、という意味で使われる言葉である。

良いほうが「雲」、悪いほうが「泥」という意味に思えるが、「泥」は決して悪いものではなかった。1~3世紀頃の中国・後漢において、国の高い役人の高官だった呉蒼(ごそう)は、山中で暮らす隠者の矯慎(きょうしん)を高く評価していた。

隠者(いんじゃ)とは、俗世間の交わりや名誉を捨て、隠れるような暮らしをしている人を意味する。また、このような暮らしを隠遁(いんとん)生活と言う。

そこで、呉蒼は隠者の矯慎に仕官する気はないかと手紙を書いた。歴史書『後漢書』によると、「雲に乗る私と泥の中を進むあなた 住む所は違うが あなたのいる西から風が吹く度に 溜め息をつかずにはいられない」という内容の手紙だった。

国の高官である自分を「雲に乗る」とし、相手を「泥の中を進む」と表現しているが、この「泥」とは古代中国では「隠遁生活」のことを意味する。つまり、相手を蔑(さげす)んでいるわけではなく、単に「立場の違い」を言っているだけである。

ただし、「雲」と「泥」ではあまりにもイメージが違い過ぎて、「雲泥の差」は日本において、現在のような「比較にならないほどの大きな差異」という意味で使われるようになったとされる。

上記の手紙の内容について、相手の矯慎を高い見識のある「雲に乗る人」、自分を俗世にいる「泥の中の人」として、「天と地ほどの隔たりがある」という解釈の仕方も見られる。

また、「雲泥の差」の語源について、唐代の詩人・白居易(はく きょい、772~ 846年)の詩『傷友』(友を傷む)の内容に由来するという説もある。その詩の内容は、「昔 洛陽にいた時は 貧しいながらも助け合ったものだが 今は長安の道ですれ違っても振り向くこともなく 雲泥の隔たりを感じる」というものである。

2019/9/16

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