「清水の舞台」がせり出している理由

「清水寺」は、京都でも有数の観光地として有名であり、「古都京都の文化財」としてユネスコ世界遺産に登録されている。

清水の舞台

清水寺が創建されたのは、奈良時代の778年(宝亀9年)と伝えられる。その後、幾度もの火災により焼失しており、その度に再建されてきた。「清水の舞台」とも呼ばれる清水寺の現在の本堂は、江戸幕府の第3代将軍・徳川家光の寄進により1633年(寛永10年)に再建されたものである。

清水寺は崖の上に建てられており、「舞台」はその崖からせり出した構造になっている。130本以上もある長大なケヤキの柱が、せり出した舞台を支えており、釘は使われていない。このような構造を「懸造(かけづくり)」あるいは「舞台造」という。

清水の舞台

「清水の舞台」がせり出した構造をしているのは、「参拝客が押し寄せたため」とされる。清水寺の本尊は千手観音菩薩である。当時、庶民の間で観音様を巡礼する行いが大流行し、参拝客が急激に増えた。

そこで江戸時代に、清水寺を訪れた庶民が安全に参拝できるようにするため舞台を増築した。もともと本堂は崖の上に建てられており、建て増しする場所がなかったため、崖にせり出すかたちで舞台が増築された。

ちなみに、「清水の舞台」にまつわることわざとして、「清水の舞台から飛び降りる」という言葉がある。これは「思い切って大きな決断すること」の例えとして使われる。

江戸時代、「舞台から飛び降りて助かれば願いが叶う」という行き過ぎた信仰があり、実際に230人以上が飛び降り、その内35人が亡くなったという。その後、1872年(明治5年)に京都府は「舞台飛び落ち」は封建的な悪習であるとして禁止する布令を出した。そして、舞台欄干周囲に柵を張るなどの対策を施すことで、舞台からの飛び降りを防いだ。

リンク清水寺Wikipedia

2019/11/12

このエントリーをはてなブックマークに追加

カテゴリー「歴史・文化

関連記事