詰襟(つめえり)の学生服には、襟の部分に「襟カラー」または単に「カラー」と呼ばれる白いプラスチックをつける。
最近ではブレザーの学生服が増えているが、現在でも全国の中学校の50%以上で詰襟の学生服を着ている。詰襟で金色のボタンがついた学生服は「学ラン」とも呼ばれる。この学生服の起源は、1886年(明治19年)に制定された東京帝国大学(現:東京大学)の制服とされる。
詰襟の上着の歴史は古く、18世紀のヨーロッパでは軍隊の制服として着用された。その目的の一つは「男らしく凛々しく見せるため」であった。首にしっかりとした襟があると顔が下がらず、堂々と男らしく見えた。
そして、軍服の下には相手に敬意を払うため、襟付きのシャツを着るのが正装とされた。その軍服の下に着るシャツはもともと襟が立っていた。その後、汚れたら交換できるように、取り外しができる襟に変わり、様々な形の襟が登場した。
東京帝国大学が取り入れた学生服でも、軍服と同様に学生服の下に白い襟付きシャツを着た。この学生服はエリートの証であり、凛々しく見える学生服はあこがれの一つだった。戦後、教育制度が変わり学校が増えたことで、制服を着る学生も増えた。
その時、圧倒的に支持されたのが詰襟の学生服だった。しかし、この学生服は見方によっては襟元で貧富の差が分かるとも言われた。当時、家庭の事情で服装を気にする余裕のない学生も多く、白い襟付きのシャツを着ていないことが襟元を見ただけで分かってしまった。
そこで、「制服に襟のように見えるものをつければよいのでは」という考えから、制服に取りつけられる「カラー」が生まれた。かつては布製のカラーもあったが汚れやすかったため、安くて汚れにくい樹脂製のカラーへと変わっていった。
学生服にカラーをつけるのは、「下に着るシャツに襟がなくてもいいように」という配慮から生まれたものだった。近年では、制服の襟の部分に白色のパイピングを配することで、カラーをつける必要のない学生服も登場している。
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2019/11/21
カテゴリー「歴史・文化」