総理大臣のオナラが新聞の一面に

1930年(昭和5年)、驚きのニュースが新聞の一面に掲載された。それは総理大臣がオナラをしたというニュースだった。

濱口雄幸

それは第27代内閣総理大臣・濱口雄幸(はまぐち おさち、1870~1931年)のオナラで、日本中が待望したものだった。

当時の首相だった濱口は、その風貌から「ライオン宰相」とも呼ばれ、国民にとても人気があった。ところが、同年11月14日、東京駅のホームで右翼の青年に至近距離から銃撃された。銃撃された濱口首相は周囲に大丈夫だと声を掛けるなど、気丈で意識ははっきりとしていたが、弾丸は骨盤を砕いていた。

すぐに東京帝国大学・医学部附属病院に搬送され、腸の30%を摘出する大きな手術を受けて一命を取り留めた。その手術が上手くいったかどうかはオナラで判断された。それは腸がちゃんとつながって機能している証拠であり、そのオナラは回復の知らせとして国民に歓迎された。

当時の11月17日付の大阪毎日新聞には「待ちに待ったガスが出た」という見出しで、濱口首相の容態が回復傾向にあることを一面で報じた。

濱口首相は翌1931年(昭和6年)1月21日に退院したが、容態は思わしくなく、再入院と手術を受けた。首相を辞任し、療養に努めたものの、治療の甲斐なく、8月26日にアクチノミコーゼ(放線菌症)のため61歳で死去した。

リンクWikipediaコトバンク

2019/12/11

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カテゴリー「歴史・文化

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