クリスマスプレゼントとは、年末のクリスマスシーズンにおいて親しい人や子どもなどに贈られる贈り物である。
キリスト教ではキリストの降誕を祝う祭りと太陽の新生を祝う冬至祭とが融合した「クリスマス」(Christmas)を家族で祝うのが一般的である。クリスマスには普段離れて暮らしている親族が実家に集まり、クリスマスパーティを開いたり、クリスマスプレゼントを交換する風習がある。
日本ではサンタクロースが子ども達のためにプレゼントを持ってくる文化が広まっている。日本におけるクリスマスは、宗教的な行事としての意味合いはほとんどなく、国民的な年中行事の一つとして定着している。
プレゼントを交換する風習はもともと「聖ニコラウスの日」と呼ばれている12月6日の伝統行事であった。聖ニコラウス(Saint Nicholas)は、4世紀頃の東ローマ帝国・小アジアのミラにおけるキリスト教の司教・神学者であり、サンタクロースのモデルになったとされる人物である。また、12月6日は聖ニコラウスの命日である。
「サンタクロース」(Santa Claus)という名前も「聖ニコラウス」のオランダ語である「シンタクラース」に由来するとされる。オランダでは14世紀頃から聖ニコラウスの命日の12月6日を「シンタクラース祭」として祝う慣習があった。その後、17世紀アメリカに植民したオランダ人が「サンタクロース」と伝え、サンタクロースの語源になったという。
聖ニコラウスとプレゼントの関係には以下のような物語が伝えられている。
ニコラウスは、人々にキリスト教の教えを説き、弱い者を助ける優しい人物であった。そんなニコラウスはある時、貧しい生活を送る家族に出会った。その父親は三人の娘に嫁入り道具を買うこともできなかった。
父親は貧しさのあまり三人の娘たちを身売りすることを考えていた。そのことを知ったニコラウスは心を痛め、娘たちが幸せになれる手伝いをした。真夜中にその家を訪れ、家の窓から(または屋根の上にある煙突から)こっそり金貨を投げ入れた。
その金貨は暖炉の前に干してあった洗濯物の靴下の中に入った。翌朝、靴下の中にある金貨を見つけた家族はとても喜んだ。その金貨のおかげもあって長女は身売りをせずに済み、結婚することができた。
そして、ニコラウスは次女の時も三女の時も金貨を投げ入れた。こうして三人の娘たちはみんな結婚することができた。
父親は誰が金貨を投げ入れたのかが気になり、その人物を見つけようと見張ったという話もある。見張っていると、再び金貨を投げ入れるニコラウスの姿を発見し、父親は足者にひれ伏して涙を流して感謝したという。
このような聖ニコラウスの物語がもとになり、サンタクロースは靴下にプレゼントを入れるという文化が定着したとされる。また、この姉妹の物語を由来の一つとして、日本では12月6日が「姉の日」という記念日になっている。
日本の文献に初めてサンタクロースが登場するのは、1900年(明治33年)のことである。ただし、その名前は「北國(ほくこく)の老爺(おやじ) 三太九郎(さんたくろう)」である。それは教会に通う子ども達のために書かれた本であった。
その本の挿絵には、お供に連れているのはトナカイではなくロバ、プレゼントが入っているのは白い袋ではなくカゴとして描かれている。
その後、サンタクロースの情報は広まっていき、1914年(大正3年)の子ども雑誌『子供之友』(こどものとも)には、赤い帽子に赤い服を着て太いベルトを腰に巻いた、現代と同じイメージのサンタクロースが描かれている。また、そのサンタクロースは靴下にプレゼントを入れようとしている。
そして、日本中にクリスマスの文化を一気に広めたのが、1966年(昭和41年)から日本で放送された『奥さまは魔女』(原題:Bewitched)というアメリカのテレビドラマであったとされる。当時、アメリカのホームドラマをお手本として、日本でもプレゼントとツリーを囲んで家族でクリスマスを祝うようになった。
さらに、この頃にはクリスマスケーキも大量に作られるようになり、現代につながるクリスマスの形ができてきた。また、この頃には日本全国においてクリスマスプレゼントを靴下に入れる習慣ができてきたとされる。
これに関連して、1960年頃に日本独自のスタイルとして、菓子を詰めたクリスマスブーツが登場した。これはクリスマスツリーの飾りの延長としてブーツ型の菓子ケースをデザインしたのが始まりとされ、のし紙や包装紙にこだわる日本ならではのものである。
2019/12/23
カテゴリー「歴史・文化」