時代劇の「時代」の意味とは

「時代劇」は、江戸時代など昔の日本を舞台とした作品が多く、「古くさい」というイメージもあるが、実は逆で「新しい表現」として誕生したものだった。

時代劇(町の風景)

日本で初めて映画が撮影されたのは1899年(明治32年)のことである。初期の日本映画は舞台演劇をそのまま撮影したものだった。その中には映画興行を目的として撮影されたのではなく、あくまで記録として残されたものもあった。

明治時代の当時、日本映画は二つのジャンルに大きく分けられた。一つは歌舞伎や講談などの物語を扱う「旧劇映画」、もう一つは海外作品や当時の現代劇、人気文学作品などを扱う「新劇映画」である。

その後、新劇映画は欧米映画の影響を受けて、カメラワークやカット割りなど映画ならではの撮影方法を取り入れて進化した。一方、旧劇映画は昔ながらの撮影方法のままであり、時代遅れで古くさいと批判され始めていた。

その古い手法から脱却しようとする動きが起こる。これを主導したのが、監督・野村芳亭(のむら ほうてい、1880~1934年)、脚本家・伊藤大輔(いとう だいすけ、1898~1981年)である。野村は当時の松竹蒲田撮影所の所長であり、松竹で初めてヒットになった新劇映画を手掛けた監督である。伊藤は後に監督としても活躍し、「時代劇の父」とも呼ばれる人物である。

松竹蒲田撮影所で野村と伊藤の旧劇映画の改革が行われた。当時の映画は音声のない無声映画で、物語の進行や台詞(せりふ)は弁士(べんし)という語り手が映像に合わせて行っていた。また、女役を演じるのは男性の女形(おんながた)だった。

二人はそんな旧劇映画の慣例を打ち破り、撮影方法を工夫し、細かいカット割り、弁士に依存しない字幕の利用、女形ではなく女優を採用するなど新しい旧劇映画の製作を行った。その新しい旧劇映画は、「新しい時代を切り開く」という意味で「新時代劇」と名付けられた。

1922年(大正11年)に新時代劇として『清水の次郎長』(しみずのじろちょう)が公開された。細かいカット割りに弁士の呼吸が合わず、奇妙な間が出来たり、旧劇映画なのに新劇役者が演じたりと賛否はあったが、人々の関心を強く引いた。

そして、「新時代劇」は転じて「時代劇」となり、次々に作品が作られていった。旧劇映画は歌舞伎などの物語をなぞるだけだったが、時代劇は社会的・現代的なテーマを盛り込み、支持を得ていった。大正から昭和にかけて「時代劇」は、日本映画・ドラマを代表するジャンルの一つとして確立され、多くのスターと名作を生み出した。

「時代劇」にはこのような歴史があり、時代劇の「時代」とは歴史的に「古い時代」を表現した言葉ではなく、映画の「新しい時代」を切り開くという意味に由来する言葉である。

リンクWikipediaコトバンク

2019/12/26

このエントリーをはてなブックマークに追加

カテゴリー「歴史・文化

関連記事