マチュピチュ人気の礎を築いた日本人

ペルーの世界遺産として有名な「マチュピチュ」は、15世紀頃のインカ帝国の都市遺跡である。そのマチュピチュには「伝説の日本人」がいた。

マチュピチュ

マチュピチュは山の尾根にあり、その標高は2430mである。1983年(昭和58年)にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。マチュピチュは誰によって何の目的で作られたのか、その理由がまだ明確になっていないのも特徴である。

そんなマチュピチュには、マチュピチュの発展に尽力し、マチュピチュ村の村長にまでなった「伝説の日本人」がいた。その日本人とは福島県大玉村出身の野内与吉(のうち よきち、1895~1969年)さんである。

与吉さんがペルーを訪れたのは、マチュピチュ遺跡が世界遺産に登録される66年前の1917年(大正6年)のことで、与吉さんは当時21歳であった。マチュピチュまでの鉄道建設に携わったのを契機に、マチュピチュへの移住を決意した。

しかし、当時のマチュピチュは住んでいる人がほとんどいない未開拓の集落だった。そこで、手先が器用だった与吉さんは、率先して川から水を引き、畑を作った。また、水力発電で村に電気をもたらすなど、マチュピチュのために尽くした。

さらに、与吉さんは村の発展のために、村で初めてのホテルを建設した。しかし、当時はまだ無名の遺跡であり、客が来る予定もなく、村人たちは呆然としていた。

すると、ほどなくしてある団体がホテルを訪れた。それは遺跡発掘の研究者たちだった。過酷な環境だったマチュピチュ遺跡にホテルが出来たことで、遺跡発掘は順調に進み、村もどんどん発展していった。

マチュピチュ村に大きな功績を残した与吉さんは、1948年(昭和23年)にマチュピチュ村の初代村長に就任した。与吉さんは現在のマチュピチュの人気の礎を築いた人物である。

ちなみに、マチュピチュ村は2015年(平成27年)に与吉さんの生まれ故郷である大玉村と友好都市協定を締結している。また、2019年(令和元年)7月に秋篠宮家の長女・眞子さまがマチュピチュを訪問され、この時マチュピチュの案内役を務めたのは与吉さんの孫である良郎さんであった。

リンクWikipedia産経新聞

2020/1/13

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カテゴリー「歴史・文化

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