西郷隆盛の像が上野にある理由

教科書にも載っている鹿児島の偉人・西郷隆盛(さいごう たかもり、1828~1877年)は、明治維新の立役者として有名である。

西郷隆盛の像

そんな西郷隆盛の像が東京都台東区の上野恩賜公園(通称:上野公園)にあり、一般によく知られている。その像が上野にある理由は、江戸幕府を完全に終わらせるため、新政府軍として西郷隆盛が攻め込んだ土地が上野だったためである。

当時、上野公園の敷地のほとんどが寛永寺(かんえいじ)の境内だった。現在でも、公園内には不忍池(しのばずのいけ)の中島に建つ弁天堂や清水観音堂など寛永寺の建物が点在する。

また、上野戦争において寛永寺の正門だった黒門口では両軍の衝突が起き、この際に西郷隆盛が指揮し、新政府軍の攻撃が防御を破った。その当時の弾痕が残る黒門は、荒川区の円通寺(えんつうじ)に移築されている。

上野公園にある銅像は西郷隆盛の功績を称えるため、宮内省より500円を下賜(かし)され、さらに全国2万5千人余の有志の寄付金で建立された。そして、死後21年後の1898年(明治31年)12月18日に除幕式が行われた。

この西郷隆盛の像は彫刻家・高村光雲(たかむら こううん、1852~1934年)の作、傍らの犬・ツンは彫刻家・後藤貞行(ごとう さだゆき、1850~1903年)の作である。

しかし、西郷隆盛の妻・糸子さんはその像を見て腰を抜かしたという。それは西郷隆盛が浴衣姿だったためである。西郷隆盛は礼儀正しく、相手がどんな身分の人でも正装で対応する人物であり、糸子夫人はその浴衣姿に驚いたという逸話が残っている。

リンクWikipedia

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2020/1/15

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カテゴリー「歴史・文化

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