浅草寺の雷門は浅草の代名詞でもあるが、その雷門にある大提灯には「雷門」の文字が書かれている。
浅草寺にはお参りする本堂にも直径4.5mの大提灯があり、そこには「新橋」という文字が書かれている。サラリーマンの街である「新橋」は浅草寺から皇居を挟んで10kmも離れている。なぜ浅草寺の大提灯に「新橋」の文字があるのか。
「新橋」と表記したが、実際には上の画像のように大提灯に「志ん橋」という文字が書かれている。実際の表記とは字体が違うが、「志」の文字は「し」と読み、これは「変体仮名」と呼ばれる字体である。
現在のように「あいうえお」という1種類の文字を学校教育で用いるようになったのは、1900年(明治33年)以降のことである。江戸時代には何種類もの見た目がお洒落な仮名が使われていた。ここでは変体仮名を正確に文字として表記できないが、例えば、食べ物の「志る古」(しるこ:汁粉)や花札の「あ可よろし」(あかよろし:「とても素晴らしい」という意味)などがある。
話を元に戻すと、浅草寺の大提灯には実は奉納した人が好きな文字を書くことが出来る。「新橋」と書かれた大提灯は、その昔に新橋の人達がお金を集めて奉納したものである。
浅草寺は東京で最も古い寺である。庶民の寺として発展した浅草寺は、浅草寺を中心として江戸随一の遊興地となっていた。江戸で最も宣伝効果が高い浅草寺に「志ん橋」の大提灯を掲げることで、新橋のことをより多くの人に知ってもらいたいという想いが込められていた。浅草寺において一番最初に提灯を奉納したことから、今もその奉納提灯が残っている。
2020/1/31
カテゴリー「歴史・文化」