「五十歩百歩(ごじっぽひゃっぽ)」は、少しの違いはあっても、本質的には同じであることの例えとして使われる言葉である。
この言葉は紀元前4世紀ごろの中国の思想家・孟子(もうし)の例え話に由来する。戦国時代のある時、梁(りょう)という国の恵王(けいおう)が孟子に「私は凶作の地にいる民を豊作の地に移住させるなど、隣の国より人民のために良い政治を行っているのに、なぜ私の国には人民が集まらないのか」と尋ねた。
すると、孟子は「戦地で五十歩逃げた人が、百歩逃げた人を臆病者だと笑ったらどう思うか」と返した。恵王は「どちらも逃げたことには変わりないのだから同じだ」と答えた。孟子は「まさにそういうことです。自分では良い政治を行っているつもりでも、人民からすれば他の国と大差ないのです」と言った。
恵王の政治を戦場から逃げた兵士に例えて、他国と比べることを止め、まずは人民のことを第一に考えるべきだと説いた。そして現在では、どちらも大した違いがなく、同じように悪い例えとして「五十歩百歩」の言葉が使われる。
このような故事に由来するため、優れたもの同士を比較する場合や、比較するものに大きな差がある場合にはこの言葉は使われない。また、同じ意味で「五十歩をもって百歩を笑う」という言葉もある。その他に、類義語として「団栗(どんぐり)の背比べ」「大同小異」「似たり寄ったり」「目糞鼻糞を笑う」などの言葉がある。
2020/5/20
カテゴリー「語源・由来」