庶民が桜を見ながら酒を飲んで楽しむという様式の花見が広まったのは、江戸時代になってからだと言われている。
奈良時代のころまでは日本で花といえば「梅」のことで、貴族が梅を見ながら歌を詠む様式が現代の「花見」の原形だとされている。奈良時代末期に成立した日本に現存する最古の和歌集『万葉集』には「梅花の宴(うめのはなのうたげ)」が収録されており、梅を観賞しながらの歌会が開かれていた。
そして、平安時代に入ると花の主役は「梅」から「桜」へと移り変わっていった。平安時代初期の史書『日本後紀(にほんこうき)』には、嵯峨天皇(さがてんのう、786~842年)が812年3月28日(弘仁3年2月12日)に京都の寺院・神泉苑(しんせんえん)にて「花宴の節(かえんのせち)」を催したとあり、これが記録に残る「桜の花見」の初出と考えられている。
その後、「桜の花見」は貴族の間で流行し、831年(天長8年)からは宮中で天皇主催の春の恒例行事として取り入れられた。その様子は平安時代中期に成立した『源氏物語』の第八帖「花宴(はなのえん)」にも描かれている。
2021/3/28
カテゴリー「歴史・文化」