「ちらし寿司」と「五目寿司」の違い

「ちらし寿司」や「五目寿司」と呼ばれる寿司は、酢飯に多くの種類の具材を合わせて作られる。この二つでは「五目寿司」のほうが歴史が古いとされる。

五目ちらし寿司

「ちらし寿司」と「五目寿司」の違いは、寿司の中身を見ると分かる。「五目寿司」は酢飯に美味しそうな具材がたくさん混ざっている。一方、「ちらし寿司」は具材が酢飯の上にのっているだけで、酢飯に具材は混ざっていない。酢飯に具材を混ぜるかどうかがこの二つの寿司の違いとなる。

ただし、この違いは正式な定義というわけではなく、地域や世代によっても呼び方が異なる場合がある。また、「五目ちらし寿司」という名前を使っている商品も見られる。

五目ちらし(ちらし寿司の素)

「五目寿司」の名前の「五目」は、もともと「5つの品」という意味で、そこから「色々なものが混ざっていること」を意味する。「五目」が付く料理には「五目そば」や「五目うどん」「五目あんかけラーメン」「五目焼きそば」「五目ご飯」などがある。「五目寿司」と同じように具材を混ぜたものは「ばら寿司」とも呼ばれる。

「ばら寿司」と呼ばれる岡山の寿司の誕生は、江戸時代前期、質素倹約を奨励した備前岡山藩の藩主・池田光政(いけだ みつまさ、1609~1682年)が汁物以外に副食を一品に制限する「一汁一菜令」を布告したことが背景にあると言われている。

倹約令の中でも美味しいものが食べたいと思った庶民たちは、煮たシイタケ・かんぴょう・ニンジンなどを目立たないように細かく刻んで、こっそりご飯に混ぜて寿司を作った。当時、寿司桶の底に寿司の具材を敷き、それらを酢飯で覆い隠して粗食を装い、食事の直前にひっくり返して食卓を飾ったという逸話も残っている。

この岡山名物の「ばら寿司」がやがて全国に広まり、色々な具材を混ぜていたことから「たくさんの」という意味の「五目」が付いて、「五目寿司」と呼ばれるようになったという説がある。

「ちらし寿司」の語源は、文字通り、酢飯の上に様々な具材を「散らす」という意味である。江戸時代後期、江戸において寿司屋の職人が魚の切れ端や使わなかった具材などを酢飯の上にのせて、まかない飯として食べたのが始まりと言われている。

もともと「ちらし寿司」は寿司屋が作るものだったため、酢飯の中に具材は混ぜずにそのまま具材を酢飯の上にのせるのが特徴だった。現在では、酢飯に具材を混ぜたものも「ちらし寿司」と呼ぶ場合があるが、このような歴史がある。

関連する記念日として、「ばら寿司」が生まれるきっかけとなった池田光政の命日に由来して6月27日は「ちらし寿司の日」となっている。その他、3月3日は「春のちらし寿司の日」、11月1日は「すしの日」となっている。

リンクWikipediaミツカン

2024/9/24

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カテゴリー「食べ物

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