京都府宮津市にある「天橋立」(あまのはしだて)は松島・宮島と共に日本三景の一つとして有名で、年間170万人もの多くの観光客が訪れる。
江戸時代に儒学者・貝原益軒(かいばら えきけん、1630~1714年)が天橋立を旅行し、日本の三景の一つなのは道理にかなうと評した。日本三景という言葉はこの時に初めて使われたが、天橋立がすでに日本の三景の一つとして世に広く言われており、貝原はそれを改めて実感したに過ぎない。
天橋立では伝説上の生き物である龍(リュウ)を二匹見ることができると言われている。一匹目は北側から見下ろすと登り龍のように見え、もう一匹は南側から自身の股の間から顔を出して見る「股のぞき」をすると天地が逆さになって舞い上がる龍が見える。
天橋立は海の真ん中に砂地がつながるとても珍しい地形をしているが、これは川が押し出す砂と海流がこの場所でぶつかって陸地になったとされている。縄文時代にはこの場所はまだ海で、その後に徐々に陸地が形成され、天橋立が完成したのは平安時代とされる。海の真ん中に陸地ができることから当時の人にとってはかなり不思議な出来事だった。
書物に天橋立という言葉が登場するのは奈良時代で、国を生んだイザナギとイザナミの神話として載っている。イザナギが愛するイザナミを訪ねるために天と地をつなぐ梯子(はしご)をかけた。これが天橋立であり、ある日昼寝をしていると梯子が海に倒れて今のような地形になったとされている。つまり、「天にかかる橋を立てた」ことが名前の由来となっている。
関連する記念日として、後に日本三景となる松島・天橋立・宮島を卓越した三つの景観と評した儒学者・林春斎(はやし しゅんさい、1618~1680年)の誕生日に由来して7月21日は「日本三景の日」となっている。
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2025/8/1
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