瀬戸内海に浮かぶ「国宝の島」

愛媛県今治市にある大三島(おおみしま)は大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)があり、「国宝の島」や「神の島」として知られている。

大三島は面積が約65km2で人口が約5,000人の小さな離島。その島には8点もの国宝が保存されている。平安時代末期から鎌倉時代初期の武将・源頼朝(みなもと の よりとも、1147~1199年)とその弟・源義経(みなもと の よしつね、1159~1189年)の二人が実際に着用した鎧が現存している。さらに国の重要文化財が469点も集められている。

大山祇神社
大山祇神社

島の西部にある大山祇神社の創建は594年(推古天皇2年)と伝えられ、古い歴史を持つ。大山祇神社は平安時代から戦国時代にかけて日ノ本最強といわれた瀬戸内海の三島水軍が氏神として崇拝した神社。そこで三島水軍の強さにあやかろうと全国各地から武将が参拝した。

鎌倉幕府をつくった源頼朝や源義経、義経に仕えた武蔵坊弁慶(むさしぼう べんけい、1149~1189年)など歴史的な偉人たちがこの神社を訪れ、戦勝祈願を行ったと伝えられる。その祈願の際に偉人たちが奉納したのが身に付けていた鎧や兜、刀などの武具だった。

その武具を数百年の間にわたり大切に受け継いできた結果、現在の国宝や国の重要文化財になり「国宝の島」と呼ばれるようになった。これらの武具すべてが保存されているのが大山祇神社の宝物館である。

宝物館
大山祇神社 宝物館

全国の国宝・国の重要文化財の指定を受けた武具類の約8割が、この宝物館に保存・展示されており、甲冑の保存は全国一である。また、国宝や国の重要文化財の他にも1,000点を超える武具が所狭しと飾られている。

そんな国宝の中に源頼朝が奉納した紫綾威鎧(むらさきあやおどし よろい)や日本式の大鎧としては最古の遺品となる沢瀉威鎧(おもだかおどし よろい)などがある。紫綾威鎧は頼朝が実際に着用していたと伝えられており、800年前の姿を今に残す貴重な鎧である。

その鎧には高級品とされる綾織物が使用されており、鎧に使われるのはとても珍しい。また、綾織物は当時すべて紫色だったと考えられている。紫色は限られた人のみが使用できる最上位の格式高い色だった。そんな紫綾威鎧は1953年(昭和28年)に国宝に指定された。

染色技術が今ほどなかった鎌倉時代に綾織物を紫色に染めるために使用されたのが貝とされる。アクキガイ科の巻貝の身に含まれる紫色の色素を抽出して染色した。この染色法は貝紫(かいむらさき)と呼ばれ、当時は格式高い人たちの着物に使用されていた。

リンク大山祇神社Wikipedia

2025/8/6

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カテゴリー「歴史・文化

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