奈良の大仏はもともと金色

「奈良の大仏」として親しまれる盧舎那仏像(るしゃなぶつぞう)は、奈良時代の752年(天平勝宝4年)に聖武天皇の発願(ほつがん)で造立(ぞうりゅう)された。

奈良の大仏

造立に携わった人数は延べ260万人とされ、当時の日本の人口が500万人ほどであったため半数の人が関わったことになり、当時の一大プロジェクトだった。高さ約15mの仏像を造るために使われた銅は約500トンであり、日本中から銅が集められ、およそ9年の歳月をかけて完成した。

そんな奈良の大仏は造立当時は今とは違う見た目をしていた。それは仏像の全身が「金色」だったことである。「盧舎那仏」は「世界を照らす輝く仏」という意味であることから全身が金で覆われていた。一説には金の量が約440kgだったとのこと。全身を金で覆う作業だけで、およそ5年の歳月がかかったと言われている。

752年(天平勝宝4年)4月9日、東大寺に奈良の大仏が完成し、開眼供養会(かいげんくようえ:魂入れの儀式)が盛大に行われた。この出来事に由来して4月9日は「大仏の日・大仏開眼の日」となっている。

ちなみに、大仏の額にはホクロのような突起物があるが、あれは白毫(びゃくごう)と呼ばれるもので、ホクロではなく毛の塊である。白く長い毛が右巻きに丸まってる。また、仏像の丸まった髪の毛のことは螺髪(らほつ)と言う。

リンクWikipedia

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2025/7/29

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カテゴリー「歴史・文化

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