ヨーロッパでは19世紀後半に日本の絵画や文学が流行した。その時代に生きていたオランダ出身の画家ゴッホも影響を受けていた。
上のフィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh、1853~1890年)の作品は江戸時代の浮世絵師・歌川広重(うたがわ ひろしげ、1797~1858年)の浮世絵を模写したものである。
広重が作品を発表したのは1857年(安政4年)で、その30年後の1887年(明治20年)にゴッホが模写の『花咲く梅の木』(Japonaiserie Flowering Plum Tree after Hiroshige)を発表した。この頃、ヨーロッパでは日本趣味が流行していた。
ヨーロッパで流行した日本趣味は「ジャポニスム」(Japonism)と呼ばれる。19世紀後半にパリ万国博覧会を契機に日本のモノや技術に注目が集まり、ジャポニスムが大流行した。
パリで浮世絵を販売する店もあったようで、ゴッホは弟テオとともに400点以上の浮世絵を集めたと言われている。生前にはお金に苦労したゴッホだが、版画から大量に生産できる浮世絵は比較的安く流通していた。
日本にユートピア(utopia:どこにも存在しない理想郷)のような憧れを抱いたゴッホは他にも日本に影響を受けた作品がある。その作品の名前は『ラ・ムスメ』(La Mousmé)である。「ラ」はフランス語の冠詞で、女性名詞の前に置かれる。男性名詞の前に置かれる冠詞は「ル」(Le)となる。
1887年(明治20年)にフランスで『お菊さん』(Madame Chrysanthème)という小説が発表された。フランスの作家ピエール・ロティ(Pierre Loti、1850~1923年)が海軍士官として日本の長崎県を訪れ、そこで日本人女性と過ごした体験をもとに書いた日記体の作品である。
明治時代の当時はヨーロッパに日本という国があまり知られておらず、この『お菊さん』は異国情緒あふれる作品として受け入れられた。そんな『お菊さん』を読んだ一人がゴッホであり、『ラ・ムスメ』は『お菊さん』が出版された翌年の1888年(明治21年)に描かれた。
「ムスメ」という言葉について『お菊さん』の中では、こんな説明がされている。ムスメというのは若い少女、もしくは非常に若い女を意味する言葉である。それはニッポンの言葉の中でも一番きれいな言葉の一つである。ゴッホは12歳の少女をモデルに『ラ・ムスメ』を描き上げた。
リンク:Wikipedia
2026/10/20
カテゴリー「歴史・文化」