明治時代の小説家・翻訳家である二葉亭四迷(ふたばてい しめい)の1909年(明治42年)の忌日。
1864年4月4日(元治元年2月28日)、江戸市ヶ谷合羽坂の尾張藩上屋敷に生まれる。本名は長谷川辰之助(はせがわ たつのすけ)。父・尾張藩士・長谷川吉数は鷹狩り供役を勤める。
専修学校(現:専修大学)卒業。東京外国語学校(現:東京外国語大学)露語科中退。坪内逍遙と交わり、1886年(明治19年)に評論『小説総論』を発表。また、彼の勧めで言文一致体のリアリズム小説『浮雲』第一編(1887年)を発表、近代小説の先駆をなす。
筆名の「二葉亭四迷」は、『浮雲』に対する卑下、特に坪内逍遥の名を借りて出版したことに対して、自身を「くたばって仕舞(め)え」と罵ったことに由来する。
続いて『浮雲』第二編(1888年)、第三編(1889年)と書き進んで、近代口語文体を完成させるが、まもなく文学に疑問を感じ、『浮雲』を中絶したまま内閣官報局の仕事に転じる(1889~97年)。
その後、母校・東京外国語学校の教授を経て、満州に渡る(1902~03年)などするが、その間にロシアの小説家イワン・ツルゲーネフ、ニコライ・ゴーゴリらの作品を翻訳する。また、小説では20年ぶりに『其面影(そのおもかげ)』(1906年)、『平凡』(1907年)を書き、的確な心理描写などに実力を発揮する。
1908年(明治41年)、朝日新聞サンクトペテルブルグ特派員となり、ロシア赴任。翌年帰国の途上、肺炎の悪化によりベンガル湾上の船中で死去。45歳。シンガポールで火葬がなされ、遺骨が新橋に到着。墓は東京都豊島区駒込の染井霊園にあり、シンガポールの日本人墓地にも墓がある。
ツルゲーネフを訳した『あひゞき』『めぐりあひ』(1888年)は最初の芸術的翻訳として知られる。田山花袋、国木田独歩、島崎藤村など自然主義作家へ大きな影響を与えた。