橄欖忌(7月1日 記念日)

昭和時代の詩人・美術評論家である瀧口修造(たきぐち しゅうぞう)の1979年(昭和54年)の忌日。

橄欖(かんらん)とはオリーブのことで、「橄欖忌」の名称は瀧口の自宅の庭にこの木が生えていたことにちなむ。戦後の日本で最も影響力のあった美術評論家の一人である。

瀧口修造

瀧口修造について

1903年(明治36年)12月7日、富山県婦負郡寒江村大塚(現:富山市)に三人姉弟の長男として生まれる。家は祖父の代から医者であったが、医学部への進学を断念。1931年(昭和6年)、慶應義塾大学英文科を卒業。

在学中から詩作し、文芸雑誌『山繭』『衣裳の太陽』『詩と詩論』の同人として活躍。1932年(昭和7年)、PCL映画製作所(現:東宝)に入社、約5年間勤める。その間、芸術思想「ダダイスム」や「シュルレアリスム」に傾倒し、その紹介と評論を行なう。

1950年(昭和25年)より『読売新聞』などで美術評論を執筆。その傍ら神田駿河台の「タケミヤ画廊」で若手作家の個展企画に携わる。また、線描デッサンやデカルコマニーの絵画作品も続け、評論と実作の前衛芸術運動の両面において、影響力の大きい仕事を残す。

1966年(昭和41年)に日本展開催のため来日したスペインの画家ジョアン・ミロと出会い、後に共著詩画集『ミロの星とともに』(1978年)を刊行。1979年(昭和54年)7月1日、心筋梗塞のため死去。75歳。

主な著書に詩集『妖精の距離』(1937年)、『近代芸術』(1938年)、『幻想画家論』(1959年)、評論集『点』(1963年)、『瀧口修造の詩的実験 1927~1937』(1967年)、訳書にアンドレ・ブルトンの『超現実主義と絵画』(1930年)、『マルセル・デュシャン語録』(1968年)などがある。

瀧口の所持していた一万点に及ぶ美術資料は、多摩美術大学にて「瀧口修造文庫」として保存されている。また、作品と遺品の多くは富山県美術館に「瀧口修造コレクション」として収蔵されている。

リンクWikipediaコトバンク多摩美術大学富山県美術館

このエントリーをはてなブックマークに追加

カテゴリー「7月の記念日」「今日は何の日

関連記事