江戸時代中期の俳人・炭太祇(たん たいぎ)の1771年(明和8年)の忌日(旧暦)。
この日は別号の不夜庵(ふやあん)に由来して「不夜庵忌」とも呼ばれる。
1709年(宝永6年)、江戸に生まれる。別号に水語・宮商洞・三亭・不夜庵・徳母。法号は道源。姓の炭は「すみ」とも読む。
江戸において俳人・雲津水国(くもつ すいこく)、慶紀逸(けい きいつ)に師事。江戸座の宗匠(そうしょう:その道を究めた人、教える立場の人)となる。
諸国を行脚(あんぎゃ:歩いて修行すること)して、40歳を過ぎてから京都・大徳寺の真珠庵に入り、僧となる。1754年(宝暦4年)、一転して京都・島原の遊郭(ゆうかく)内に不夜庵を営む。桔梗屋(ききょうや)の主人・呑獅(どんし)をはじめ、妓楼(ぎろう)の主人や遊女に俳諧を教える。
晩年は俳人・与謝蕪村(よさ ぶそん)と特に親しく交わり句作に精進。句集として『太祇句選』『太祇句選後編』などがある。没後、親友であった岡五雲(おか ごうん)が不夜庵を継いだ。