酎ハイボールを作るために入れたもの

昭和時代に当時の酎ハイボールは炭酸水の代わりにあるものを水に溶かして焼酎と割っていた。水に入れていたものは「ドライアイス」である。

東京・新宿の西口には焼き鳥屋やもつ焼き屋などの居酒屋が多く集まる商店街があり、別名として「思い出横丁」と呼ばれる。

思い出横丁は、空襲の跡がまだ生々しい1946年(昭和21年)頃にできた露店や屋台が集まった闇市にそのルーツを持つ。現在では約630坪の土地に60軒の飲食店が密集する。昭和レトロな風情が人気を集め、日本人だけでなく多くの外国人観光客も訪れる。

そんな思い出横丁で約70年の歴史を持ち、大ヒット商品を新宿で広めたお店が「もつ焼 きくや」である。1956年(昭和31年)の創業で、継ぎ足しのタレやこだわりの特製塩で味わう串焼きと、独自にブレンドした酎ハイが名物。多くの人に愛され、西田敏行(にしだ としゆき、1947~2024年)や松田優作(まつだ ゆうさく、1949~1989年)など昭和の大スターたちも訪れた名店である。

元祖酎ハイボール

そんな「きくや」でもつの串焼きとともに愛されたオリジナルメニューが「元祖酎ハイボール」である。当初はある特殊な方法で作られていた。戦後、当時は物資が不足し酎ハイで使う炭酸水がなかなか手に入らなかった。そこで「きくや」の初代店主が炭酸水の代わりに「ドライアイス」を水に溶かして、焼酎と割ることで当時の酎ハイボールを生んだ。

ドライアイスは二酸化炭素を固体にしたもので、ドライアイスを水で溶かすと炭酸水になる。ドライアイスは食品の保存などにも使われるが、物が少なかった当時でも比較的手に入りやすかった。そのドライアイスを買ってきて、酎ハイの原液と一緒に混ぜて店で出していた。

関連する記念日として、「ハイボール」と読む語呂合わせから8月10日は「ハイボールの日」、1999年(平成11年)11月24日に火災事故が起きたことに由来して11月24日は「思い出横丁の日」となっている。

リンクきくやWikipedia

2025/8/11

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カテゴリー「食べ物

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