北里大学や北里研究所病院などを運営する学校法人・北里研究所が制定。
北里柴三郎(きたざと しばさぶろう、1853~1931年)は血清療法の開発、ペスト菌の発見など多くの功績を残し「近代日本医学の父」と呼ばれる。2024年(令和6年)7月3日に発行された千円札の肖像となり、「紙幣の顔」となった。その誇らしく喜ばしい日をお祝いし、柴三郎の顕彰と千円札発行の盛り上がりを全国に広めていくことが目的。
日付は千円札が発行された日から7月3日を記念日としたもの。記念日は2025年(令和7年)に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。
学校法人・北里研究所(The Kitasato Institute)は、厚生労働省健康局所管の公益法人であった社団法人・北里研究所と学校法人・北里学園が統合して設立された学校法人。
同研究所は、1892年(明治25年)に設立された、私立伝染病研究所(現:東京大学医科学研究所)を起源とし、1914年(大正3年)に北里柴三郎により設立された。1918年(大正7年10月)に社団法人・北里研究所となる。
2008年(平成20年)4月1日に北里大学を設置する学校法人・北里学園と統合し、学校法人・北里研究所となった。同研究所は医学・生物学の研究を目的とする。その本部は東京都港区白金に置かれている。2014年(平成26年)に同研究所は創立100周年を迎えた。
北里柴三郎は、1889年(明治22年)に破傷風菌の純粋培養に成功、翌1890年(明治23年)に血清療法を開発、さらに1894年(明治27年)にペスト菌を発見し、「感染症学の巨星」と呼ばれる。第1回ノーベル生理学・医学賞では、最終候補者(15名のうちの1人)まで選ばれた。
柴三郎は現在の熊本県阿蘇郡小国町の出身。1871年(明治4年)、藩立の西洋医学所(現:熊本大学医学部)に入学。そこで教師のコンスタント・ゲオルグ・ファン・マンスフェルト(Constant George van Mansveldt、1832~1912年)に出会い医学の世界を教えられ、これをきっかけに医学の道に目覚めることになった。
1875年(明治8年)に23歳で上京し、東京医学校(現:東京大学医学部)に進学。1883年(明治16年)に医学士となった。在学中に「医者の使命は病気を予防することにある」と確信し、予防医学を生涯の仕事とする決意し「医道論」を発表。その後、内務省衛生局へ就職した。
柴三郎は1885年(明治18年)からドイツのベルリン大学に留学した際、医師・細菌学者のロベルト・コッホ(Robert Koch、1843~1910年)の研究室に入り研究を行った。柴三郎はコッホととても仲良くなり、コッホに師事して大きな業績を上げた。