レモンの日(10月5日 記念日)

この記念日は、高村光太郎(たかむら こうたろう、1883~1956年)の詩集『智恵子抄(ちえこしょう)』の「レモン哀歌(あいか)」に由来する。

高村光太郎
高村光太郎

高村光太郎は、大正・昭和期の詩人・彫刻家であり、『智恵子抄』は1941年(昭和16年)に出版された。智恵子とは、光太郎の妻で洋画家・紙絵作家の高村智恵子(たかむら ちえこ、1886~1938年)のことである。

高村智恵子
高村智恵子

『智恵子抄』には、光太郎が智恵子と結婚する以前(1912年)から彼女の死後(1941年)の30年間にわたって書かれた、彼女に関する詩29編、短歌6首、3編の散文が収録されている。

この記念日の日付は智恵子が1938年(昭和13年)10月5日に52歳で亡くなった命日に由来する。この日は光太郎が智恵子の臨終をうたった詩「レモン哀歌」にちなんで「レモン忌」とも呼ばれる。

お互いに人間としての自由を尊重して一緒になった二人だったが、智恵子は精神を病み、その6年後に光太郎の看病の末に肺結核により死去した。智恵子は亡くなる数時間前にレモンをかじり、その様子が「レモン哀歌」にうたわれている。

レモン哀歌

そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉(のど)に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓(さんてん:山のいただき)でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう

ただし、この「レモンの日」を制定した団体や目的などについては定かではない。関連する記念日として、光太郎の1956年(昭和31年)4月2日の命日に由来して、4月2日は「連翹忌(れんぎょうき)」となっている。

また、レモンに関連する記念日として、2月6日は「C1000の日」、3月8日は「レモンサワーの日」、4月4日は「C.C.レモンの日」、9月3日は「クエン酸の日」となっている。

リンクWikipedia青空文庫

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カテゴリー「10月の記念日」「今日は何の日

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