かつては湯島の北の丘にあたる地域の俗称「向ヶ岡」の一部であった。1872年(明治5年)、明治新政府が旧水戸藩の土地であったこの地を接収し、町名を「向ヶ岡弥生町」とした。町名の「弥生」は水戸藩中屋敷に建てられていた歌碑(旧水戸藩主・徳川斉昭が詠んだ桜の歌)の季節が3月(弥生)であったことに由来するといわれている。
1884年(明治17年)、この地の貝塚から土器が発見され、地名に因んで土器は「弥生式土器」、その時代は「弥生時代」と名付けられた。以後、土器の町として知られ、1965年(昭和40年)には「向ヶ岡」の地名がなくなり「弥生」という町名になった。
人口 | 2,004 人(2013年1月1日時点) |
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郵便番号 | 113-0032 |
区域 | 一丁目、二丁目 |
駅 | なし |