「御茶ノ水」の地名の由来

「御茶ノ水(おちゃのみず)」は、北は東京都文京区湯島から南は千代田区神田に至る一帯の地名である。ただし、町名としては存在しない。

御茶ノ水は台地の上にあり、中央部を東西に走る掘割(ほりわり:周囲の土地より低くした部分)に神田川が流れる。この神田川は文京区と千代田区の境界にあたり、川の北側は本郷台(湯島台)、南側は駿河台となる。掘割が作られる以前は「神田山」と呼ばれる一続きの台地であった。

現在では道路標識など主に地域名には「お茶の水」「御茶の水」表記が使用され、主に駅名関連には「御茶ノ水」表記が使い分けられている。その例として、「お茶の水橋」「御茶の水美術学院」「御茶ノ水駅」の他、当初は本部が御茶ノ水にありその後に文京区大塚に移転した「お茶の水女子大学」などがある。

お茶用の水に由来

第2代将軍・徳川秀忠(とくがわ ひでただ、1579~1632年)の時代に、水害防止用の神田川放水路と江戸城の外堀を兼ねて神田山の東西方向に掘割が作られ、現在のような渓谷風の地形が形成された。

同じ頃、その北側にあった高林寺(こうりんじ)の境内から泉が湧き出て、この水を将軍のお茶用の水として献上したことから、この地が「御茶ノ水」と呼ばれるようになったといわれる。

その後、高林寺は1657年(明暦3年)に起きた「明暦の大火」の後に現在地の文京区向丘に移転した。そのため、現在は湧き水の名残はないが、JR御茶ノ水駅お茶の水橋口の交番横に地名「お茶の水」の由来の石碑が建てられている。

リンクWikipediaコトバンク

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