「幡ヶ谷」の地名の由来

東京都渋谷区にある「幡ヶ谷(はたがや)」は、同区の北部に位置し、地名や町名の他、駅名にもなっている。

町としての幡ヶ谷の北部は中野区南台に、東部は渋谷区本町に、南部は渋谷区西原、及びその西の世田谷区北沢に、西部は笹塚に接する。幡ヶ谷地域としては、幡ヶ谷の他に現在の本町と笹塚が該当し、かつての幡ヶ谷村の全域に相当する。

幡ヶ谷の地形は、武蔵野台地上の平坦な部分が大半を占めるが、神田川幡ヶ谷支流に沿って浅い谷になっており、明治時代までは水田地帯となっていた。なお、同支流は現在、地中を流れる暗渠(あんきょ)となっている。

白旗を洗った場所

幡ヶ谷の地名は、平安時代後期の1082年(永保2年)、武将・源義家(みなもと の よしいえ、1039~1106年)が東北地方の陸奥・出羽を舞台とした「後三年の役(ごさんねんのえき)」から帰る途中に、この地にあった旗洗池(はたあらいいけ)にて源氏の旗印である白旗を洗い、傍らにあった檜(ひのき)に掲げて祝宴を行ったという伝説に由来する。

その池は現在の本町付近の窪地にあったが、1963年(昭和38年)に埋め立てられ、その旗は現在の渋谷区渋谷にある金王八幡宮(こんのうはちまんぐう)の社宝になったとされる。

また、その池があった場所には、1906年(明治39年)に池を訪れた海軍軍人・東郷平八郎(とうごう へいはちろう、1848~1934年)筆の記念碑、及び渋谷区が設置した案内板だけが残る。

現在の幡ヶ谷は、住宅街としての利用が中心であり、新宿まで電車で数分、徒歩でも20分程度という利便性からマンションや賃貸アパートなどが多い。また、この地を東西に貫く甲州街道は江戸時代に整備され、その真上には高架の首都高速4号新宿線が走り、地下には京王新線の幡ヶ谷駅がある。

「幡ヶ谷」のデータ

人口16,269 人(2015年10月1日時点)
郵便番号151-0072
区域一丁目~三丁目
京王新線「幡ヶ谷駅」

リンク渋谷区Wikipedia

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