幕府の鍛冶方棟梁・高井伊織の拝領屋敷があったことに由来する。1603年(慶長8年)の町割の際に「鍛冶町」が誕生した。1824年(文政7年)には、刃物や釘などの卸売業者がおり、戦後復興期には、家庭金物店、建築金物店などで「神田金物通り」として賑わっていた。鍛冶町一丁目にはかつて今川橋があり、「今川焼き」の発祥の地である。
人口 | 306 人(2012年12月1日時点) |
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郵便番号 | 101-0044 |
区域 | 一丁目、二丁目 |
駅 | JR山手線・JR京浜東北線・JR中央線「神田駅」 |
人口 | 96人(2012年12月1日時点) |
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郵便番号 | 101-0045 |
区域 | 神田鍛冶町三丁目のみ ※一丁目、二丁目は「神田」の付かない「鍛冶町」 |
駅 | なし |
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